114. 台湾茶で一休み(王德傳)- 2021.1.10
3連休の真ん中の日曜は、COREDO室町テラス(地下鉄 三越前・JR 新日本橋)の台湾ティーサロン「王德傳(ワンダーチュアン)」で、台湾ウーロン茶をいただきました🍂
手作り炭焙煎正欉テッカンノン茶
なじみのない漢字、正欉(せいそう)とは、「鉄観音品種を使いた古式仕上げの鉄観音」をさすようです、「慶光茶荘」様サイトの解説を参考にさせていただきました
https://e-chinatea.com/%E6%9C%A8%E6%9F%B5%E9%89%84%E8%A6%B3%E9%9F%B3/
2煎目サービスがあり、1煎目と同じように美味しかったです
次男のタピオカミルクティーは、🍸 に入ってました
妻の紅茶のカップも、不思議な丸いカップでした
同フロアの書店も、誠品生活という台湾の資本のようですが、普通に日本の大きな書店という感じで、良い品揃えでした
その後、外に出て、お散歩がてら、日本銀行の脇を通り、日本橋川にかかる常盤橋のたもとの「渋沢栄一」の銅像を見に行きました(道中の写真、日銀の壁の石垣を登ろうとする次男を制止するその母の図)
わたしビジネスパーソンなのに恥ずかしながら、渋沢栄一のことを全く知らず、次男が家で読んでいた伝記(漫画)で、日本の近代資本主義の仕組みをつくったすごい人と、この年末年始の休みにはじめて知りました💦...地方銀行や多数の株式会社の設立、大学の設立...
以前、わたしが関東北部に転勤・転居していたことがあったのですが、当時、次男が通っていた小学校に、渋沢栄一もかかわった日米親善のための「青い目の人形」が玄関に展示されていました。
人形の親善事業は、昭和2年のことでしたが、その後の日米戦争で、処分された人形がおおいなか、当時のその小学校の教員のかたのご判断で、かくまわれ、戦後しばらくたって、保管されているのが発見されたそうです。
人形が寄贈されたのは、渋沢栄一の生家がある地域(深谷市)に、関東なかでは比較的近いことが、きっかけかなと思ったら、そうではなく、昭和初期の当時、校舎の場所が(今と異なり)もっと市役所に近い地区にあり、外国人が多く住む地域の小学校ということで選ばれたようでした。(ネットで、その小学校の青い目の人形の寄贈・保管の経緯を紹介した記事が見つかりました。)
戦争中、人形をかくまった先生は、人形の親善事業への渋沢栄一のかかわりや、栄一の生家の地域も当然ご承知のうえで、保管されたのではないかなーとか、いろいろ想像します
渋沢栄一の銅像を見た後は、日銀の貨幣博物館という無料の展示館が日銀の向いにあり、日曜も開館しており、見学できました。今年、500円玉に新しいデザイン(2種類の材質の組み合わせで記念メダルみたいでした)が加わるようです🌟
ことし1年がみなさまにとって健やかな1年となりますよう祈念いたします🍀
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