60. 術後化学放射線療法から2年経過 - 2018.5.6

2年前のゴールデンウィーク

わたしは2年前(2016年)の2月の舌がん手術で、廓清した頸部リンパ節に転移3つ(うち1つ被膜外浸潤)ありました。2週間ほどいったん退院し、3月下旬に再入院しました。手術後の化学放射線療法は、手術後から期間を開けずに行う、抗がん剤と放射線との併用の治療です。

この時の手帳、今日あらためて読み返しました。最終の抗がん剤投与:5月2日、最終の放射線:5月9日でした。

ゴールデンウィーク中も、放射線科では祝日のうち1日は装置を稼働させ、照射の休みを連続2日間以内に留めていました。頭頚科でも、GWに限らずでしたが、祝日でも半日は必ず、どなたかドクターは交代で病棟にみえていました。

頭頚科も口腔外科も放射線科も形成外科も、ご所属のドクター全員、男性でした(入院当時)。大病院の勤務医の先生の家庭人としての時間はどうされていらっしゃるのか...保育園へのお迎えとかとても考えられなそう...職業人として見える医師の世界は一般職業とまったく違うのだと思います。

GWの入院中、普段よりゆったりしていたドクターとの雑談も思い出します。

わたし「術後の5年というのは、最後の抗がん剤や放射線照射、あるいは退院から起算と思ってました。」

ドクター「がん5年生存率は、最初の治療から5年です。頭頚外科は最初の治療は手術がほとんどで、手術日が起算です。医療保険の、最後のがん治療から何年...とは違います。でもドクターによっては、経過観察の頻度の話とか、退院して何年たちましたから、という表現、つまり期間が長い安全側のニュアンスで話される先生もいるので、混乱しますよね。」

 

まぶしい新緑

青空に映えるフレッシュな枝葉に思い出すこと🍀

「退院できる。これからどれだけ生きるのだろう。また仕事できるだろうか。」こんなことを考えていたことを、2年たっても思い出します。 ゴールデンウィークでリラックスしていると、これからもずっとふと思い出すと思います。

今回、入院中の手帳をみて気づいたこと。2年前の5月下旬(退院直後の頃)、「健側ののどが痛い、最初の通院のときに相談すること」とか「健側の舌のつけ根、じくじくした感じ」、既に書いている💦

つまり、以前より気になっていたコアな後遺症は2年経っても変わらない。そして、疲れていたり風邪っぽいと、それらの違和感は軽い痛みへと増してしまいます(口腔内の乾燥?特に食間が辛い)。

 

後遺症に対する気持ちの変化

入院は日本の年度を跨いだので、お世話になったドクターやナースの異動もありました。特にICUから出た最初の処置室の晩に一緒だった、戦友的なナースのかたが他科に移ってしまい、自分の体の辛いポイントをよく知っているかたが周りからいなくなってしまうことが、ショックでした。

新人ナースも少しづつ顔をみせるようになりました。入院中も、どんどん世の中は進んでいくなって思いました。自宅に戻って回復を感じ、落ち着いて、このブログもそうですが、ふりかえるようになってから、病院でお世話になったドクターやナースの方々への感謝の気持ちが大きくなりました。

そして今年になってやっと、ドクターに、先生に良い手術をして頂いて...と自然に会話のなかで話せるようになりました。以前も、もちろん節目にはお礼を申し上げていました。でも、気持ちのほとんどは、こんなに滑舌わるくてこれからどうしよう、とか、廓清した側の肩が痛い、とか後遺症が気になっていたのです。(今も、無いわけでは無いです。)

ですが、特にここ半年(手術後2年を経過して)、気の持ちようがだいぶ変わったと感じます。気持ちについては、周りのサポートはもちろんありがたく頂きますが、どこか、自分だけにしか乗り越えることができない何か、があると思います。もちろん自分の気持ちですので、自分だけが変えることができるのは当たり前のことかもしれませんが、実感します。

私の場合、「皆さんとは違うかもしれませんが、それが何か?」といった強い気持ちで、人前でも話す🌟

英語も、周りに他部署の知らない人がいても、構わず話す。発音が悪い。恥ずかしい。それでも話す✨

何があった人だろう、と相手に思わせてしまう。それでも仕事では、立場上、話さない訳にはいかないことは、話さない訳にはいかない。気持ちが引かないよう、集中しつつも、それでもユーモアも忘れないよう軽い話😉も状況的に話せれば話して少しでも場が和むよう...大人の世界って難しい...そりゃ星の王子さまに大人って変だねって言われますよね💦

 

GWハイライト(2018):前半

下の子が、妻と一緒に妻実家へ出かけた日がありました。上の子(高3)は、珍しく部活(陸上)が休みで、家にいる。あまりに昨日の疲労がたまり、部活でも今日は遊びに行かないとのこと。(本人は今後の県大会本選に出場できるが、既に地区予選敗退の同級生もおり、部内も微妙な雰囲気もある模様。)

「何か欲しいウェアとかあれば買いに連れてってやろう?」と話すと、一言ぽつりと「温泉にいきたい」

ひさしぶりに2人で外出🌊

父と長男の2人で半日以上、の状況は高校受験で併願の私立の面接にあちこちにいった2年半くらいぶり。

公園で軽くキャッチボールして、市内の温泉複合施設へ。その後、卓球でコテンパンにされる。そして、夕飯では大人の世界を見せてしまう🍺

残る高校生活、頑張って!

翌日は誰も家にいないので(長男は普通に部活、次男は妻と一緒にまだ戻らず)、公園で壁あて⚾

この公園で会えば一緒にキャッチボールする子と会えたので、キャッチボール。彼のことは、ファーストネームと、今はサードを守っていること、そして次男とは別の小学校ということしか知らない。出会ったときは、〇年前?まだ単身赴任の頃、彼は今の次男くらいの学年だった。1年間ほど、月に1度くらい偶然公園で会ってキャッチボールしていた。

その後、家族がこちらにきてくれ、私の生活リズムが少し変わった。そして、家族呼び寄せ後、1年経たず私が入院。彼とは1年半くらい、会わなかった時期があった。

昨年、再会したときはすっかり体も大きくなって、球も早くなった。今回話した感じでは、来年中学に行っても野球を続けたい、とのこと⚾頑張って!

 

GWハイライト(2018):後半

2日間の仕事の後は...休み再び😃

妻のご両親が、ご学友の皆様とそのご家族を毎年この時期にお招きし皆で楽しむBBQに、家族全員で参加🍖

何十年の月日が、家族をどんどん大きくさせています。この最初の写真で、左下の窯周辺だけでなく写真に写っている人はみんな参加者!(しかも映っていない場所で遊んでいる子供たちもおり、全員というわけでもない。)

GW 中のハプニング

少しはしゃぎすぎたのか、わたし突然発熱しました。(残っている)リンパ節のあちこちが腫れて痛み、焦りました。丸1日、完全に休んで回復しました。39度近くまで上がったのは10年ぶりくらいで、驚きました。そして熱で手足がしびれたのは、生まれてはじめてのことでした💦

熱は下がったのですが、念のため休日急患で、家の最寄りの、わたしのがんとは関係ない中規模の病院(内科)に診てもらいました。

内科医「何も薬を飲まずに1日の安静だけで熱が下がったのは、悪い感染症ではありません。変な感染症でこうした下がり方をすることは、ありません。高熱のときにリンパ節が腫れることや手足が痺れることは、気にしないで大丈夫です。がんや、その治療の後遺症との関係については、わたしは専門でないのでわかりません。」

若い感じですがとても冷静な語り口のドクターで、話をきくだけで何か安心してしまう。休日でもこうして普通に健康保険で医師に診て頂けるのは、やはりありがたく感じます。時期・季節にもよるのかもしれませんが、意外に空いていました。

最終日(いま5月6日)は、翌日の仕事に備え、家で安静中。こうしてみると、こころの準備(リバウンドの大きさ)という意味で、全部の休みより、休みと休みの間の2日間に仕事へ行っていたことは良かったのかな - と。

 

美しい季節とともに、お別れ

また入院中の話に戻ります。入院中、少しづつ暖かくなって、抗がん剤の間が空いて体調が良いとき、しばしば早朝に病院敷地内を散歩しました。未明に亡くなったかたがおられたのかな...という専用の車が建物裏手の急患用の出入り口あたりの木立の脇に停まっていることが、よくありました。

早朝のまぶしい新緑の木立のなか、静かに佇むつるりとした黒い光沢。人が亡くなったことを示唆する風景なのに、悲しいだけではない、美しいとも感じさせる不思議な印象でした。

前回の記事で、花のもとにて春...と引用しましたが、最後のときを過ごす風景は、花から数週間たった後の、次の世代、新しい生命を感じる新緑の季節が良いかな - といまは思います🍀

そのうち、夢を感じる入道雲の夏とか、実りに感謝できる秋とか、どんどん先になりそう...

 

とても長くなってしまいました。ここまで読んでくださったかた、ありがとうございます。次回の記事は、5月スペシャルイベント 頭頸部がん患者会 Nicotto 遠足 にできれば、と思います😃

七転び八起き Getting Back Up:A day in the life of cancer survivor MW

"おまけの人生" を駆け抜けます 2016年2~5月に治療しました舌がんの後の生活や家族のこと...ときどき映画や本, 車, 野球 Ameblo アメブロでは https://ameblo.jp/mw2008/ です コメントご投稿, メッセージ頂けますとき Ameblo のほうへお願いいたします, 本サイトは記事のみです 写真は 2016年3月の軽井沢...詳細は記事 No.11 ご参照下さい