218. 名古屋の元気会!楽しすぎて memento mori -2024.2.11
名古屋の元気会に行って参りました🌟
名古屋のかたがたのうち師匠は、昨年の秋の横浜ぶりでした。
わたしは、Mさんとイカルスさんとが初対面でした。イカルスさんはブログでつながっていましたので、自転車の話とかも盛り上がりました。
とんあかさんが気を利かせて下さり、会の冒頭、イカルスさんMさんとわたしの3人に、自己紹介の機会をくださいました🍀
患者会としましては 6人の全員が舌がんの経験者です。
美味しいお店で、しかもX時間も飲み放題...名古屋、最高です✨
手羽先のパリパリ、お塩でいただくトロッとしたお刺身(たぶんブリ)...
名古屋と関東の味付けの違い...三重や岐阜をふくめた美味しいお店のお話...
舌の動きのお話しや食事や話のもどかしさなど、舌がんあるあるのお話しもたくさんありました
でも、もっとあれ食べたいとか、あそこにいきたいとか、全然、普通に人生を楽しんでいるのが眩しかったです✨
すごく楽しかったのですが、わたしは2次会は残念ながら失礼しました。
連休中、どうしてもやらないといけない仕事があるのです😆(火曜の朝にできていないといけないのです)
あと2時間もあればできるのですが、あの金曜の晩、やらずに会社のひとと飲みにいってしまったので🌊
明日の月曜の祝日の朝にやろうかな(でも月曜の祝日の晩かも...そのバックアッププランある余裕が大事...いや今やれよ...でも今夜は...無理です...)
戻りは "伊豆の踊子" 県での単身宅なのです...つい仕事がチラついてしまい
ーー
わたしは病気で辛かったとき、精神的に苦しかったこともありましたが、どこかに諦めがありました
そういう病気だから...とか、あと何年なのかな、とか...
悲しみではなくて自分の運の悪さにバツがわるい "苦い" 感じで、悲しいとかとは、ちょっと違うのです
逆に、今日の楽しい集まりみたいな、今こういう舌がんの仲間と集まって楽しい時間を過ごすことが、ふと死の怖さを意識してしまう
死んでしまうと楽しい時間が過ごせないことが思い出されて、急に一人で一瞬ぞっとするというか怖くなるのです
帰りの電車でみた夕日で、ぼんやり memento mori (メメントモリ・死を想え)って、楽しい時間を過ごすことへの警鐘だったのかなと
でも楽しんでいけない訳はない
死を想うから、だからどうなんだっていうと、日々の選択が大事で、自分で決めることができることをきちんと判断すること(行動すること)
自分でできないことは、くよくよしない
そういう話だったような
病気が治ったかわりに、どこか、こころの片隅にいすわりはじめた、むなしい気持ちというか影(?)とともに生きていく予感
いや病気とか関係なく、単に年をとって、センチメンタルになっただけだと思います
病気の前は忙しくてわざと考えないようにしていたのかな...日々のむなしさなんて考えたこと無かったかも...
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でも今日の元気会で、若い子に性欲を感じなくなりましたよねって話で、とんあかさんとイカルスさんとの3人で盛り上がりました(こういう "盛り上がり" の使い方ってよかったかしら、いやそれにしてもすごい患者会です💦)
生きる喜びのバリエーション(例えば性的なことへの好奇心のようなこと)が、少しづつ自然に減ってきているのかもしれません
こうしていつか迎える死に近づいているんだなって思います
折り合いのつけかたは、わたしはいったい何なのかしら
ーー
"気兼ねなく" お話しできる素敵な個室
お店の全景です、とんあかさんありがとうございました~😃
行きの新幹線...浜名湖が眩しい
帰りもきれいでした...うっとり...矢作川だったかな
またお会いしましょうね🍀
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