95. COVID-19(新型コロナ)気にせず友人と痛飲 - 2020.3.7
3月に入り、次男は朝から学童へ直行、妻は在宅勤務、私は再調整できない国内出張に行ったほかは時間差通勤で会社へ...長男は、大学が春休み中の施設供用を停止し部活動が縮小し、この土日は予想外の帰省...
学校の役割は教育です。この3週間の学校教育ができなかったことは、児童や生徒たちの将来に影響すると思います。
教育は、在宅勤務ができる会社ではないのです。また、広く議論されていますように、会社にも、工場のように行かないとできない職種は、たくさんあります。
大学は既に春休みでしたが、もしも4月の開始を遅らせる大学があるようでしたら、児童や生徒にくわえ、学生も、影響することになります。
教員のかたがたの悔しさはどれほどでしょうか。若年者は比較的重症化しにくい医学的なエビデンスはあるのに...。
以前勤めていた会社で当時お世話になった先輩が転職するので、ちょっとした集まりが先週末あったはずですが、自粛。このタイミングでないと意味がない集まりが中止なのは残念です。
その先輩とは偶然もあり、1月のうちに先に2人でお会いしてご挨拶できたのは(飲みに行けたのは)良かったです。
でも、集まりがあれば、前にお世話になったかたがたにご挨拶できたかもしれなかったので、がっかりでした。でも幹事さんが一番悩んだと思います。招待を頂きました側としましては、中止のご連絡に、"残念ですが承知しました" 旨を簡潔にお返事しました。
リソースは限られていますので、医療の質の維持のためにピークをなるべくつくらないよう、国民生活の不便さを受け入れ、それができる場合は、はたらきかたをかえたり、マスギャザリング(大きな集まり)を再考する必要性は、理解できます。
ですが、バランスといいますか、今回の社会的な予防で失うことと(教育の場での教育の機会、経済や景気全般)、得られるであろうこと(社会に蔓延させない)、とのつり合いがとれていないように思います。
感染と発症のリスクに対する社会全体の措置としては過剰な反応ではないか、という疑問です。納得がいかないのです。
以下は、私が所属する組織の考えでは無く、あくまで私の一個人の見解です。
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感染しても8割は軽症です(発症した場合は少し長めのかぜ)。エビデンスがあります。
感染防止の機械的な一律の抑制ではなく、重症化しうるハイリスク群(高齢者のかた・持病をお持ちのかた・障がいがあるかた)のかたがたが、なるべく人込みにいかずに生活できるような配慮は絶対に必要です。
障がいがあるかたは、疾患というより医療機関へのアクセスのハンデ性の意味もあります。
持病はセンシティブな情報ですので、職場では、情報そのものの取扱いにも配慮が必要で、働き方をかえざるえない状況に、ご本人への不利益がないようにしないといけません。
しかし、それ以外の社会的な政策については、休校や自主的な移動の制限や集まりの自粛は、メリットよりもデメリットが大きいと思います。
個々人が手洗いをこれまで以上におこなったり、体調不良時に無理のない範囲で外出しない、体調不良時にやむを得ず外出するときはマスクする、等はひきつづき必要だと思います。
わたしが過剰だと考えているのは、そうした個々人のとれる(とるべき)防衛措置ではなく、社会的な政策としてのほうです。
つまり
会社がすべきこと、政府が支援することは、一律の在宅や時間差やイベントや集会や移動(旅行や出張)の制限 / 禁止ではないはずです。
だって、職場に行かないとできない仕事のほうが世の中には多いわけですから。物づくり、教育、ほかほとんどのサービス業(オンライン~などが運営もふくめて在宅でできれば例外でしょうか)。
すべきことは、本当に必要な範囲に狭く深く。
具体的には、ハイリスク群に該当する社員や、ハイリスク群とされるご家族と同居している社員に対し、休暇や在宅勤務を認める、認めやすくする。
また、自覚症状があれば、体調不良があれば、無理せずに休むことをもっと認めやすくする。
あとは、割り切りが必要だと思います。
社会的には、ある程度、感染を受け入れ、場合によっては、すこし長めに症状がでる風邪を順番に皆ひいてしまう(持病なければ、あるいは重症化しなければ、医療機関にかからないで自宅で安静)。
というほうが、長い目で見た社会経済や生活への影響という意味ではバランスがとれるのではないでしょうか。
感染症の対応は、会社の何をどのように守るのか、在宅勤務ができない職種の社員をどこまで守るのか、経営の視点を、ある程度、かたちにせざるをえないと思います。
いまの仕事を通じ、わたしが考えるリスクの考え方と異なるかたちでの組織の判断にかかわることがあります。非常に悩ましいことがあります。
ただ、こうした難しさの状況は、珍しいことだと思います。そういうことを考えたり学ぶ機会があることが貴重なことだと、私個人としては自分にいいきかせています。
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という、もやもや、をかかえたまま
以前からの予定どおり、地方で大学教員をしている友人と、1年半ぶりに都内で再会🍀
お互い、感染症や公衆衛生は専門外です。
ですが、今の対応は過剰すぎる、という点で一致し、新型コロナに負けないぞ(?)と痛飲。
彼と飲みながら、プロの将棋で、女性の棋士がはじめて誕生となるか、どうかで盛り上がる🌟
誕生してほしい、女性だからできないことはない、競技人口の分母の問題だけのはず、勝て、勝て、おっ勝った?でも決まらない????
お互いスマホを片手に固唾をのんで見守りましたが、わたしたちが会っている間には最終的によくわからず。
今朝の新聞によりますと、自力ではなく同位?のかたの勝敗次第だった模様で、次に持ち越しの模様です。
帰宅してから思ったこと
ネタバレはありませんが、すこし前に家で(ネットで)みた映画(原題:Galveston)を思い出し(年末年始だったか...今回のコロナの騒動よりは前)
深刻な病気を宣告された中年男性の主人公が、咳をしながら昔の恋人に会いに行く(米国の郊外の戸建てのひろびろとした芝生がある、感じのよい住宅地)。
昔の恋人は、自宅の車庫の入り口あたりで、彼に面会はしてはくれた。途中すこしだけ、良かった頃の昔話でかすかにほほ笑んだものの、基本的には、明らかに歓迎はしていない(その態度を隠さない)。彼女は立ったまま、外の日差しを避け影のなかで、彼に正対せず体は横を向け、冷たく "もう時間だわ" などと言う。
その態度に主人公はがまんできず(最初は病気のことは伝えないつもりだった様子)、去りぎわに、思わず、自分の病気のことを伝えてしまう。
昔の恋人は、一瞬だけ沈黙しますが、すぐ彼としっかり目をあわせて、ひとこと
「人はいつか死ぬわ」
しびれました。
若い人に容易に感染して若い人が重症化する感染症であれば、別です。社会の存続にかかわるので、いまの社会生活の便利さを相当程度、犠牲にしてでも対応する必要があります。(もちろんそのようなウィルスがあれば人類が存続できていないので、机上の設例といいますか、ロジックとしてのはなしです。)
一方で、人口構成のなかで、高齢者のかたが先にお亡くなりになるのは自然なことだと思いますが、そのことにふれて公に発言されているかたは少ないように思います。わたしは言いたいです。
年配のかたが、若いひとよりも、先にお亡くなりになることは自然なことです
繰り返しになりますが、もちろん持病がある方は、ご高齢かどうか / 年齢にかかわらず重症化するリスクが高いので、世代を問わず個別に配慮しないといけないとおもいます(休みやすいよう、日常の生活に支障をきたすことがないよう)。
後悔しないように、いまのリスクを冷静に判断、考えて、わたしはこれからも必要だと思う行動をしたいと思います。
待ち合わせ場所、神保町の三省堂の1階イベント販売エリアにて、この場面、大好き✨
🍺🍺🍺🍺🍺 三省堂の地下のビヤガーデン(カナダ出張おみやげ頂きました、メイプルティー)
☕☕☕☕ 学生街の喫茶店..."猥雑さは学生には必要..."
"卒業式や学位授与式は、やり方を工夫したうえで、感染リスクをある程度とってでも、今でないと意味がないことは、やるべき...その工夫の仕方やリスクの判断の例を社会に示すことも、高等教育機関の役割のはず..."
...再会を誓う...みんな悩んでいますが、頑張りましょう🌊
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