37. ひなまつり・点灯式・卒園式 - 3月のあれこれ - 2017.3

3月は公私にわたりばたばたでした。仕事も第1四半期の締め、この1年を左右する重要ポイント...。写真は、みんな下の子がらみ。1枚目、ひなまつりの工作。3月4日に家で写真。可愛い。

次の写真は、ちょうど同じ日のオプジーボの頭頸部適用の新聞記事。再発したら効く方の2割に入ってほしいけど効かなかったら...考えるのが怖い...。

3枚目・4枚目は、保育園で太陽光パネルを設置したので、その点灯式。 これが3月11日。帰りがけの菜の花がきれい。5枚目。(3.11 は当時の状況など書こうと思えばたくさん書くことができるテーマですが、わたしがこのブログをはじめるきっかけとなった昨年の病気と直接の関係はないようなので、今回はふれません。)

卒園式は 25日。大変お世話になりました。6枚目。

ふりかえると、上の子は、最初の2年はキリスト教式の私立の認可保育園で、私の転勤で、その後2か所の公立保育園。下の子は、上と6年以上離れていますが、最初から年中さんまでは公立保育園、途中で上の子のときみたいに同様にわたしの転勤があり(会社は別の会社でしたが)、最後の2年が今回卒園した「神道式」の私立の認可保育園。 奉納の舞を近所の神社でおこなうなど、古風な園でした。(議論がなされている「戦前の国家神道」では無い、ごく穏当な?地場の神社の系列です。通年の認可園になる前は、農家のための季節保育の園だったそうです。)

もう4月ですね。去年のいまごろは、(術後)化学放射線療法の前半1/3すぎたくらいで、1回めシスプラチンで参っていました。でも一時退院したときに、よろよろとですが桜を見に行けました。あまりにだるく、来年も見れるのだろうかって不安さえ感じないほど、ぼんやりしていました。

いまでも不安ですが、1日1日を大事に、むかしクレジットカードだったか何かのCM「二度とこない今を買う」。当時は、うまいこと言って煽るなーと思いましたが、大病経験を経ると、その通りと同感。悔いの残らないよう生きましょう! (買い物だけの意味ではありませんが元気なうちにやりたいことを!という感じです)

 

ところで春は怖いです。どんどん下から若い人が自分を押し出すように舞台にでて来て...これはアップダイクの小説...ウサギのシリーズの1作目だったか...。死ぬのは当たり前なのに早いのが嫌なのか自分でそのときを決めることができないのが嫌なのか...何が怖いのかいまだによくわかりません...。

入学式では、いつも、ここでやっていけるのかどうか不安で、そういえば高校も大学も、それぞれ桜並木がアプローチにあって、女の子はみな楽しそうなのに(女子の新入生はたいてい母親か両親と一緒)、男子の新入生は自分もそうだったけどどちらかというと1人で来ているほうが多く、わき目もふらずといった感じで歩く。わたしは、空と花びらのコントラストがまぶしすぎ、めまいしそうでした。

 

新卒で入った会社は、入社式のあと、当時は代々木上原にあった会社で、研修の最後のコマをうけもっていたマネジャーが、まだ明るいうちに代々木公園を散歩をしようとみんなを夕方に外につれだし、花見は明るいときに歩きながら花だけをみるのがよくてね...飲み食いはしないでね...でも飲まないわけじゃあないんだよ。ただ、酒は酒で花を見た後にお店にいってからでね...と落ち着いていました。花見は花見、お酒は別に店で、というのは、わたしもそうで、雰囲気の合う会社で良かったなって当時は(無邪気に)思ったことを、この時期はよく思い出します。

わたしは8年勤めその後、別の会社に移りましたが、今でもスキーにいこうと当時の職場の関係で声をかけて頂いたり(スキーメンバが殆ど「卒業生」になってしまい今の会社の様子はわからないのですが)、「類は友を呼ぶ」典型というか「居心地」に関しては最高の職場でした。


七転び八起き Getting Back Up:A day in the life of cancer survivor MW

"おまけの人生" を駆け抜けます 2016年2~5月に治療しました舌がんの後の生活や家族のこと...ときどき映画や本, 車, 野球 Ameblo アメブロでは https://ameblo.jp/mw2008/ です コメントご投稿, メッセージ頂けますとき Ameblo のほうへお願いいたします, 本サイトは記事のみです 写真は 2016年3月の軽井沢...詳細は記事 No.11 ご参照下さい