45. A selected few でなければ、その他おおぜい。でも同じ幸せ。- 2017.7.5
自己犠牲の精神の強い美しい女性が、職業キャリアを中座してでも自分だけが支えたい相方のかたとご家族に全てを捧げた物語。すこしでもがん患者やサバイバが生きやすいように、ありのままを伝えて、社会に広く発しているメッセージ。ご自身が辛いのに、何かを発信するというアクションを継続されたことを尊敬いたします。
わたしは数本のメッセージだけ拝見しました。社会性よりも、愛する家族へのささやきを漏れ聞いたような複雑な気持ちを感じてしまったからです。広く社会に声をかけているようで、なぜか、わたしには、それがご家族に向いているように思いました。命を懸けると誓った相手に対し、そうありたい、と思う自分になること。
わたしは真逆です。「つらい自分をわかってくれないの。ステージ4aだったのに、復職して前と同じ仕事しているよ。むちゃくちゃきついんですけど。頚部かくせいすると、首が痛いよ。」サバイバを家族にもつ家族の辛さまで、思いは至らない。何か小さな不調を訴える。はやく寝たら、とか言われチクリとする。それはかつてどこかで、自分も、不調を訴える家族に言ったことあるチクチクヒリヒリことば。
家族に対し、こうありたい自分は確かにある。気力として、できないとすればなぜか。わたしもルーツ的には北陸の血が半分は入っているので、雪国の粘りというか我慢強さはあるはずなのに...獲得形質は遺伝しない...つまるところ、ただの都会の坊やだからか...。
今回のかなしいニュースに、わたしはずっと、以前、病院の放射線科の待合で漏れ聞いた会話を思い出しています。
「おばちゃん、おうちで楽に休めてる?」(看護師)
「いや~うちの主人からは、お前は治ったよって言われていて~前と同じ」(60代女性)
「え?まさかあの手術して退院したばっかりで家事してるの?」(看護師)
「前と同じ~家のこと全部やっているよ」(60代女性、話し方の雰囲気は舌亜全摘?)
「...辛いね」(看護師)
「うちの人、そういう人だから...」(女性)
こちらもパートナーと寄り添い生きる、同じ物語です。美しく生きたいと思う気持ちを貫くことが「できる」人も、理想までそこまで近づけることが周囲の環境からかなわない人も、自分の持ち場で今を生きるしかないです。
辛くても許せる心の広い人間になりたいです。若い頃は、年をとると自然におおらかになるのかと思っていましたが、自分で自分を変えようと思わないと、あるいは訓練をしないと、自分は変わらないことは、今回の罹患で気づきました。
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こないだの日曜、家族と昼食に行ったときの写真です。1度だけ仕事で行って、いいお店だなと思って、珍しくこどもたち両方に別の用事があったので、やっと連れて行けました。あとで後悔しない「今」のスナップ😉
体調が許す限り、感謝を伝え続けたいです。いつ何があってもよいように...。
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