174. 今年もよろしくお願いします - 2023.1.3

 

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

がん罹患をきっかけに 2016年6月ごろから始めたこのブログも、おかげさまで7年目に入っています。

 

わたしは 2015年の年末に違和感といいますか体調不良を感じ、翌1月に舌がんが判明しました。

はじめ、舌がん IVa の5年生存率が 35%~45% と知ってショックでした。 

(その後、2021年の5年の卒業宣言の診察時、この話題をしましたとき、主治医は、少し笑みを浮かべて、今は上がって 50%は超えていると思います、とおっしゃっていました。)

2月~5月の時期に治療・入院していました。ですので毎年の2月又は5月に、過去の治療の経緯をまとめていることが多いです。

 

退院して自宅療養しているときにブログをはじめました。

ショッキングな、がん罹患に対する気持ちの整理といいますか、何か記録をしたいと思ってはじめました。

もしも舌がんの治療法に迷っているかたがいたら、こういう事例もあります...医師の先生の推奨通りの標準治療...

  

主治医は頭頸部外科で、5年、経過観察してくださいました。

放射線科 Dr. には治療開始から3年間診て頂き、その3年過ぎる頃の最後の診察時、放射線科 Dr. が仰っていたことを、ときどき思い出します。結構大事なことだったのに、なぜか過去のブログ記事に、書き忘れていたことに気づきました。

 

それは、わたしが仮にさらにあと2年何も無く、無事に5年寛解できましたら、これから何に気を付けていきましょう?

という放射線科 Dr. への質問に、一瞬お考えになって、

「がんが治る病気になったことで、(異時性の)重複がんが増えています」ということをおっしゃっていました。

 

放射線科は、頭頸部以外もみていらっしゃるので、その新旧のがんの罹患の部位の組み合わせが、過去の症例に無いことが増えています、というようなお話しをチラッとされました。

 

わたしが不安に思わないよう、慎重な表現でしたが、放射線科でのフォローが終わることは喜んでいただきたいのですが、この先もお気をつけてくださいね、という感じでした(わたしと同世代か数年若いくらいの、やさしい Dr. のかたでしたので、お気遣いを感じました)。

 

こうした医療関係者のかたがたから伺ったおはなしや、患者会の仲間たちとの思い出、そのときどきに印象に残り upしましたブログの写真をみますと、当たり前のようなこの1日1日が本当に大切なことなんだな、とあらためて気づかされます。

  

世の中に公表されている数字から簡単な計算をして、わたしの(各自の)その世代では、定年までに10人に1人くらいしか、がんにならない(2人に1人になるのは 60才を過ぎてから)と過去の記事で、書いた覚えがあります。

ですが、それでも、がんが珍しい病気では無いことや、がんが治ることもある、ということを実感します。

 

退院から、たしかに5年を過ぎた頃から、少し余裕がでてきた気もします。

 

その余裕かどうかわかりませんが、近年になり、がん患者会やサバイバーシップ活動とはまったく別の集まりでも、初対面かそれに近い状態でお会いしたかたと、お互いに部位は違いますが、がんサバイバー同士であると、偶然、話をするなかで、わかったことがありました。

これは、わたしが Pre-気管切開の痕や頸部に廓清の痕があり(+滑舌も悪く)、相手のかたに(良くも悪くもですが)この人はひょっとして...と思わせるものがあったのか、たまたま、その場には2人だけになっての会話でした。

当初はそのような話に及ぶとは予想しなかったのですが、治療の話をお互いにして、無治療で5年経つと、ほっとしますよね...と、部位が違っても戦友といいますか...印象に残っています。

  

それでも、良かったことばかりではなくて、思い出してしまうことがあります(これまで本ブログには、あまりネガティブなことは書かないようにしてきましたので、初めて書かせていただきます)。

いちばんショックだったのは、まだ術後1年もたっていない、復職してまもない頃(8ヶ月間の休職明け)。

 

「あなたすぐ余計なこと言うから、舌を半分切ってちょうど良いんじゃない?」と笑いながら会社で言われたこと。

ご本人には悪気はなく、かつ、いちおう2人だけの場になったとき、わたしが普通な感じだったので、もっと元気づけるというか明るい感じなりその流れにしたかった、そういうキャラのかた、とは知っていました。

 

これには、わたしも、こたえました。苦笑いするしかありませんでした(悪気が無いのがいちばん悪いなって...毒)。

他部署の、わたしよりも役職がうえのかたでした。

わたしが当時いた自分の部署では、わたしが戻れたことを、半分、涙ながらに歓迎してくださった、かたがたばかりでした(たまたま2人だけの場になったとき、本当に涙してくださったかたもいらっしゃいました)。

そのギャップにも驚きました。同じ会社でも、ひとってこんなにちがうんだって💦

 

あとは、職場では無いのですが、直接は親しくないかたに(しかし共通の親しいかたはいる)、治療後にはじめて何かの集まりでお話ししたとき、「何で気づいたの?」「舌がんって、最初は何で分かるの?」と矢継ぎ早に質問されるのも、ちょっとしんどかったです。

興味があるのはわかりますが、まずは(かたちだけでも)気遣ってほしいものでした。こちらも、退院からまだ1年もたっていない正直、微妙な時期でしたので...。

 

いまは、仮にどちらのほうから攻められて(?)も全然、平気です🌊

 

もちろん職場を含む周りのかたがたから、嬉しかった言葉もたくさん頂いています🍀

これは前にも書いたかもしれませんが、入院中は「落ち着いたら、また...に遊びに行こう」とか、退院して自宅療養中は「心配ないから、ゆっくりして...」、復職してからは「無理をしないで、大丈夫だから...」、というのがすぐに思い出されます(仕事は、あまり大丈夫じゃないこともあったのですが...)。

 

何かまとまりのない文章になりました。

ですが年末年始にいろんなかたのブログを久しぶりに拝見して、がんについて、いま自分がおもうこと(いま思い出すこと)を書き留めてみました。

 

お読みくださったかた、ありがとうございます。

みなさまにとって今年がどうか素敵な1年となりますように🌟


写真は、元日のお散歩...水鳥が真っ黒なのでカワウかと思ったらオオバンのようでした。

  

七転び八起き Getting Back Up:A day in the life of cancer survivor MW

"おまけの人生" を駆け抜けます 2016年2~5月に治療しました舌がんの後の生活や家族のこと...ときどき映画や本, 車, 野球 Ameblo アメブロでは https://ameblo.jp/mw2008/ です コメントご投稿, メッセージ頂けますとき Ameblo のほうへお願いいたします, 本サイトは記事のみです 写真は 2016年3月の軽井沢...詳細は記事 No.11 ご参照下さい