206. 伊集院静さん死去 - 2023.11.25
作家の伊集院静さんが亡くなったと今朝の新聞で知りました。
わたしは伊集院静さんの本は、残念ながら一冊も読んだことは無いです。
ですが 15年くらい前に出張したときに読んだ、飛行機の機内誌の伊集院静さんの巻頭エッセーを、未だに忘れられません。
クレジットカードの会員向けの雑誌でも、紀行文を連載されていました。
土地やそこに住む人へのおだやかなまなざしがあって、何か大切なことを見つけようとされている。
その大切なことを、直接には説明しないけれど、その輪郭をなぞるような感じです。
その雑誌の連載を読むと、美しい写真もあって、旅に出たいなという気持ちになります。
そしてそのたびに、その 15年前の機内誌のエッセーを思い出していました。
伊集院静さんの機内誌エッセーは、だいたい次のような内容でした。手元に無くて、記憶だけですので、細かいところは間違っているかもしれません。
ーー
若い頃、はじめてスペインを旅した。
Xという街で、バスで隣り合わせた自分と同じ年頃の女性と知り合った。
カフェでお互いに住所を交換して、明日の同じ時間に待ち合わせした。
そして彼女にY美術館を案内してもらうのだ。
翌日、待ったが彼女は来ない。
知り合ったばかりの東洋人の約束のことは忘れてしまったのか。
気が変わったのか。
独りで美術館にいく。
どうして彼女に心変わりがあったのだろうと思いつつ、こちらに会おうとしない人に、まさか異国の他人が、こちらから訪ねることもできない。
日本に帰国してしばらくしたら、エアメール葉書が届いた。
なんとあの彼女だった。
あの約束の日の朝、同居している祖母が急病になって、会いに行けなかったことを詫びていた。
あのとき何事もなく彼女が待ち合わせ場所にきていたら、自分の人生は変わっていたかもしれない。
ーー
2ページくらいの短文で、本当に上記のようなサラッとした感じでした。
場所はバルセロナだった気がしますが、ちょっと自信が無いです。
女性についての描写がほとんど無くて、自分と同じくらいの年という程度と思います。
ですが、また会うことにして、相手のかたからも美術館を案内したいといってもらえるのだから、お互いに良い初対面の印象だったのでしょう。
どうしてこれだけの短文が、15年以上たっても忘れられないのか不思議でした。
それでいて、次は小説を読んでみよう、という感じにもならないのです。
今回いくつかの訃報のネット記事のなかで
「別離は切ないが、つかの間の記憶でも、人の胸の中に誰かが消えずにいることは素晴らしいものだ」
という伊集院静さんの言葉の紹介がありました。
偶然の出会いで、カフェでお茶した女性の記憶も、消すことがないこと。
人にやさしくしたいということや、お互いにわかりあいたいという気持ちを大切にしたい。
それが生きるよろこびでもあると、わたしは共感しているのかもしれません。
(写真...今朝の東京でのお散歩)
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