228. 憲法記念日 -2024.5.3

 

法律は、国がわたしたちを規制するものです

それでは、最も上位にある、憲法はいかがでしょうか


憲法は、わたしたちが国に対して、守るように約束させています

憲法によって国家の権力を規定する立憲主義

 

わたしたちの憲法の核心は

「個人の尊重(13条)」

すべて国民は、個人として尊重される


だから好きなことをして良いというのではなく

だから

一人ひとりの人間を無条件に大切にする

身分や生まれた地域、性別、信仰にかかわらず、人として大切にする

(下記リンクを参考にさせて頂きました)

人を人として大切にする-個人の尊重 - 仙台市泉区の法律事務所 あやめ法律事務所 弁護士神坪浩喜 弁護士林屋陽一郎

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仙台市泉区の法律事務所 あやめ法律事務所 弁護士神坪浩喜 弁護士林屋陽一郎

  

こうした思いにつながる記事が、今日 5/3 の新聞にたくさん書かれています

でもわたしは人を大切にできているか自信がありません

言いたいことを言ってしまったり、自分を優先して行動しているような気がします

 

 

あいさつは大事だと思います

ご近所のかたには、たとえ返されなくても、こちらから、あいさつします

 

"あいさつは、あなたの存在をわたしは尊重しています、ということ" 

長男が小学生のころ、その少年野球チームで、大先輩のコーチが子どもたちに仰っていた

 

"上手な子も、そうでない子も、和気あいあい"(チームスローガン)

小さいチームで、野球の試合はなかなか勝てなかった

でもまさに一人一人の尊重だなって、急に思い出しました

  

 

 

憲法記念日は、日本にいる外国のかたの権利についても考えさせられます

かつて、日本に暮らす外国籍の友人が被ったトラブルについて、トゲのような経験があります

この機会にすこしふれたいと思います

 

その友人とは、ベトナムで知り合いました

お互いに大学生で、彼は英語ができるのでアルバイトで観光ガイドをしています

こちらはバックパッカーなのでツアーに行くお金もなく、ビーチでぼーっとしているだけです

 

でもビーチのお店で昼食はとっていたので、その店をベースにしているベトナム人の彼に話しかけられました

ガイドについては断りましたが、彼はいつか日本に留学したいとのこと

お互いに住所を交換して、帰国後もときおり文通していました

 

彼は2年後、見事に東北地方の某国立大学の院に留学することができました

わたしは既に社会人でしたが、彼に会いにいったりもしました

彼は修士をとって、そのまま日本で、学んだことを生かした専門的な仕事に就職しました

 

わたしが結婚して子どものことや転勤などで少しバタバタして疎遠になった時期がありました

あるとき、ふと思いたって、彼と連絡とろうとしました

でもメールしても電話しても彼と全く連絡がとれなくなりました

マメな彼にしては、いっさい返信ないことは珍しい

 

そのときは混乱して、彼が何か事故にまきこまれたのかと、共通の知人に連絡したりしました

しかし誰もわからないのです

蒸発したかのようでした

 

数か月たって、あるかた(彼が東北地方でお世話になったかた)から、教えていただきました

 

不正テレホンカードの売買で逮捕されていたこと(偶然、虫のしらせなのか、わたしが唐突に連絡をとろうしたのがその直後で勾留されていた時期)

既にベトナムに帰国したこと

彼としては、できればわたし(MW)には、この顛末を知らせてほしくなかったらしいこと

  

彼は、ベトナムの母親に送金していた

アパートを一棟まるごと買って、その賃料がお母さんの年金になるようにしていた

そこまでは本人から直接に聞いていました

親思いの孝行息子と思います

 

そして、日本で定職を得ても、少しでも時間があれば、お小遣いかせぎ?で、不正テレホンカードの売買の仲介のアルバイトをしていた、というはなしを、共通の知人のかたから伺う

 

でも最初は、安く自分が国際電話するための買う側だったのが、何かがあって、自分で仕入れて転売していたらしい

彼のことだから、儲けのためというよりも国際電話で困っている友人のためだった、と当時、自分の中で整理というか理解したおぼえがあります

 

20年近く前のはなし

何もできなかった

不当勾留とは思いませんし、たとえほとんどマージンなしでも、不正テレホンカード売買にかかわることを擁護するつもりもありません

ですが

彼の真面目さがでている手紙での美しい筆記体(英文)、親思いの人柄を思い出すと

  

ひとりひとりが大切にされる社会なのか

自分は何ができたのだろう

 

いま長男が、わたしが彼と知り合った年頃になった

また彼と会って話したいと今でも思います

 

それは、難しいはなしではなくて、

彼に少し持病があり(通院でコントロール可)元気かどうか

おそらくは結婚していると思うけど、どのような家庭か

日本で就いていた高度専門技能を生かした仕事を続けられているか

 

 

ここ数日は、日差しがあっても風がひんやりとした、気持ちが良い日です

彼と知り合った Nha-trang のビーチでも、あのときサラッとした風を同じように感じました

 

 

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GWは、最後の1日だけリモートワークします(月曜の祝日)

それまで、あともう少し、仕事を忘れ、のんびりしようと思います

毎年恒例の楽しみ、お義父さん主催のバーベキューが主な外出予定

 

ほか、ひさびさにベランダのプランターの手入れをしようとおもいます🌟

みなさま、GW後半もどうぞごきげんよう- 🍀

 

七転び八起き Getting Back Up:A day in the life of cancer survivor MW

"おまけの人生" を駆け抜けます 2016年2~5月に治療しました舌がんの後の生活や家族のこと...ときどき映画や本, 車, 野球 Ameblo アメブロでは https://ameblo.jp/mw2008/ です コメントご投稿, メッセージ頂けますとき Ameblo のほうへお願いいたします, 本サイトは記事のみです 写真は 2016年3月の軽井沢...詳細は記事 No.11 ご参照下さい