5. 舌がん - 告知の晩から入院まで 2016.1
深夜、妻に話す
悪いものは取ってしまいたい。セカンドオピニオンもとらず、このまま手術で進めたい。これが私の考え。その方向で、次回の生検の結果を聞きに行く際、仕事の都合をつけ一緒に来てくれることに。切っちゃって切っちゃってという感じ、意見が合い良かった。
私がやっている下の子の保育園の送迎を今後どうするか...妻の両親が偶然この週末に家に来ていただく予定であったので、そこで相談することに。
どんよりと曇る
その週の土曜日は、重い気持ちがそのまま天気になったような暗い曇り空...。キャッチボールできるようグラブを準備し、家族4人で昼食へ。CT造影剤のアレルギーで気分が悪い。
店でメニューを見ても食べたいものが思いつかない...涙。公園で子ども2人と三角キャッチボール。妻が動画をとってくれる。
義父母・父母への報告と相談
家にお見えになった義父母に、夜に話す。できる限りの協力を頂けるとの有り難いお言葉。その後、日中に何度か電話した際はずっと不在であった私の両親に再度、電話する。
母がでた。告知の話をする。息をのむ気配。手術できるから、悪いものは取れるから大丈夫、と一方的に伝える。私が父と話した後、義父が電話に交代してくれ、できる限りの協力をします、とお話しされる。お義父さんありがとう。
入院・療養への準備
保険会社への連絡、上司へ伝えるべき内容の検討。妻の側でも、職場の理解を得られるよう調整をはじめる。(妻と私はそれぞれ別の会社に勤めています。)
上の子には、病気のことを伝える。受験でたいへんな時だけど、お母さんのいうことを聞いて、しっかりやってほしい、と伝える。わかった、とのこと。
入院までの日々
告知の翌週の妻同伴の診察とMRI。生検の結果は、やはり扁平上皮癌。手術確定。
手術後に組織を病理に出し、もしもリンパ節への転移があった場合、(a) 転移の数や (b) 節外浸潤と呼ばれるリンパ節の被膜の外への癌組織の浸潤の有無によっては、放射線や抗がん剤を用いた追加治療のオプションがあるとのこと。
手術後も色々な道筋がありうる...一体どうなってしまうのだろう。いま心配しても仕方ないのかもしれないが、手術ができることになって良かったというよりも、やはり不安な気持ちのほうが断然大きい。
家では、本屋でみつけた『がんで困ったときに開く本 2016 (週刊朝日MOOK)』、『がんを告知されたら読む本 (谷川啓司)』を読む。早期発見かどうか、最初の治療後、再発があるかどうか、あたりがポイントか。
両親は元気でがんの経験なし。父方の祖父が肝臓の癌で亡くなっているが、父が成人する前の、かなり昔の話。がんは、わたしに馴染みのある病気ではなかった...。
駅伝大会
手術予定日の 10日前ごろ、職場ぐるみで参加している地域の駅伝大会がある。私の距離は ○kmと短い区間だが、走ってよいか、ドクターに確認。問題ないとのこと。また、入院まで飲食の制限がないことも意外だった。
駅伝は1走だったので、少しペースを落として棄権だけは無いように気をつけた。担当区間を無事完走。打ち上げでは、レモンサワーを3杯。おいしい。
しかしもう二度と飲めない体になるのだろうか。あと数日したら、ひと月も入院なんて(実際には2回目含め延べ3ヶ月間も入院した)。CT造影剤の件や生検の痕を含め、このときは痛いところが何も無く、いまひとつ大病の現実感が無い。
帰宅すると私の顔が真っ赤なので、妻から、リスクの高いことしない!と叱られる。しばらく飲めなくなるから...ごにょごにょ...と言い訳。
仕事
上司と面談し、手術の予定やドクターから聞いた一般的な復帰タイミングを伝える。この頃は、早ければ3月末には戻れるかな、と思っていたけど...。
チーム内で私の担当業務の洗い出しと整理、引き継ぎの打ち合わせ。並行して、どの範囲まで病名を伝えるか、人事にも入ってもらって確認...病気休暇の手続き...ばたばた...。
がんというより、CT造影剤のアレルギーによる気分の悪さと、生検の跡の痛みから、入院までの間、何日か急きょ在宅勤務にさせてもらう。
休みに入る前に大事な会議があったが、何とか自分の担当範囲について部署としての資料をつくり、チームメイトのかたに代読(と質疑応答対応)をお願いでき、とても助かりました。
さらば至福のひととき
入院の何日か前に、家のベランダの灰皿や喫煙グッズを捨てる。ここ 10年近く、たばこは1日4~5本にセーブできていたので油断していた。
"一服" は、慌ただしい1日のなかで落ち着ける至福のひとときではあったが、これにてお終い。以来、丸5ヶ月間、禁煙継続中(2016.6.19 現在...吸いたいと思わないので大丈夫かな?)。
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